1Q84 BOOK 1のレビュー
読み応えがある
文学界の話や、宗教の話がでてくるのですが、個人的にもクリスチャンで、小説家になりたいと思った事が
あるので、内容をとても身近に感じました。春樹氏に僕個人の内面を見抜かれたようにも思えました。
青豆と教団のリーダーの会話が面白く、知的好奇心をくすぐられますね。
内容が深すぎる
この小説は、適当に開いてどこか一文を見ただけでも、なるほど真理だ、と納得させられる文章の集まりである。美文の集合体とされる三島文学の金閣寺のようなものだ。
読んでいてとても面白いのだが、登場人物は何か幽霊のようで顔を感じない。彼らがなぜそんなに絶望していて虚ろなのかよくわからない。
最初から最後までなにか平凡である。色々な事を考えさせられて、小説自体は形を持たず、読んだ側次第ということだろう。
ストーリーは納得のいくものではない。ねじまき鳥クロニクルの第二巻を読み終えたときのような印象が残った。book3が出ることは、多くの人が予想していただろう。
迷える不幸な主人公たちを、きちんとした場所に導き、終わらせてもらいたい。
(世界の終り+カフカ+ねじまき鳥)÷3 的な作品
今まで、村上春樹の小説は、短編、長編を問わず、すべて読んでいます。
この1Q84を読みはじめてまず思ったのは、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」と似た話の進め方だということです。春樹作品は基本的に、パラレルワールドを描いている場合が多いですが、これを明示的に描いているのがこの「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」です。1Q84も作りはこれと同じで、別々の世界がひとつの接点で結ばれていくという感じです。
また、「海辺のカフカ」で登場した中田さんのように、ある種の特殊能力を持った登場人物。ドラゴンクエストのように何かを探し続ける人たち。
さらに、「ねじまき鳥クロニクル」で取られた3部構成戦略。1Q84が3部構成で終わるのか4部以降も出るのかはわかりませんが、「ねじまき鳥クロニクル」の全3部のうち最初に刊行されたのは第1部と第2部だけで、第3部以降が存在するのかどうかということは最初は明らかにされていませんでした。一種のマーケティング手法かもしれませんね。
というわけでこの1Q84という作品は、上記3作品を平均化したような、ある意味村上春樹の集大成を言える作品ではないかと思います。しかしそれでいて、上記3作品を超える面白さは、個人的には感じませんでした。
未完成のファンタジー
私たちの世界である「1984年」と,それとは微妙に異なる「1Q84年」が交錯し,
「月はひとつ」とか「警察官の制服はこんな感じ」といった常識が覆される。
作者は,新聞のインタビューで「仮説の中に現実があり、現実の中に仮説がある・・・そのような現代社会のシステム全体を小説にしたかった。
ほぼすべての登場人物に名前を付け、一人ずつできるだけ丁寧に造形した。その誰が我々自身であってもおかしくないように。」
と述べている。
なるほど,登場人物の日常の細かい書き込み。
長い放尿だった,だの,今日の夕飯はどうのこうのと材料や調理法まで書いてある。
・・・しかし,男性主人公はともかく,
女性主人公の方は,プロの殺し屋であり,顔をしかめたときの異形,非常識な男の誘い方・・・
どうも生身の人間というよりアンドロイドか別の世界から来た人のようである。
なので,作者の意図が,読者に主人公と自分を重ね合わせることを期待していたとすれば失敗だと思う。
ただ,女性主人公の非現実的な雰囲気は,作品全体のファンタジー性を盛り上げており,
不可思議なエピソードの連続も,「まあ,ファンタジーなので。」と納得がいくから,これはこれでよいのかもしれない。
上巻の感想なので,ここまでにしておくが,この小説,下巻まで読み終えても話として完結した気が全くしない。
これだけ大々的に宣伝して多くの読者をつかみ,BOOK3まで引っ張るからには,
メッセージを抽象的に伝えて終わりではなく,物語として完成させてくれることを望む。
かなり難解であり、空前のベストセラーという評判だけが一人歩きしてしまっている感がある
本書は、出版社の巧妙な戦略が功を奏して、本来であれば、村上春樹の作品を読まないような人をも巻き込んで、空前の大ベストセラー小説になっている。かくいう私も、一応、彼の作品は3つ読んではいるものの、これだけ騒がれなければ、まず、本書を手に取ることはなかったと思っている。しかし、そんな人々が、果たして本書を楽しんで読めるかという点になると、なかなか厳しいと思う。
まず、本書は、物語の焦点がどこに合っているのかがなかなか見えてこないので、退屈を感じてしまうところがある。実際、私も、本書は発売直後に買っているのだが、途中で他書に目移りし、最近まで、本書に戻ってくる気になれなかったのだ。それでも、ひとたび物語の焦点が合い出すと、次第に読者を引き付けてはいくのだが、やはり、本書の最大の問題は、難解だということに尽きる。村上文学の特徴は、「文章は平易だが、作品は難解」といわれているのだが、まさに、本書は、その典型のような作品なのだ。
私には、1Q84年という概念が、よくわからない。並行世界でもなく、仮想世界でもなく、世界は1Q84年に変更され、1984年はもうどこにも存在しないといいながら、主人公らだけが入り込んだ世界ともいい、ほとんどの人が知覚できないともいう世界とは、一体、どんな世界なのだろうか?また、青豆のある究極の選択で運命が決まったはずの天吾が、その直後にふかえりと行ったある行為が、なぜ、必要なことだったのかも、よくわからない。
村上春樹は、「ノルウェイの森」では、「100%の恋愛小説」といわれた純文学で勝負していたのだが、「海辺のカフカ」といい、本書といい、現実離れした、奇妙で難解な別の世界に入り込んでしまっているようなところがある。そもそも、本書で扱われているテーマは、1Q84年だとかリトル・ピープルなどという、わけのわからない設定のもとでしか語れないようなものなのだろうか?